江部賢一ファンクラブ(私設)

ギターの名編曲者、江部賢一さんの仕事を、記録します。

武満徹 SONGS ③(石川セリ)

番外編で、武満徹を取り上げています。

ギター用に編曲されることもある『SONGS』について。

 

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『翼〜武満徹ポップ・ソングス』石川セリ 日本コロムビア 1995年11月

このCDは、武満徹の生前最後のアルバムでした。

 

 

  1. 小さな空 (武満徹) 服部隆之・編曲
  2. 島へ (井澤満) コシミハル・編曲
  3. 明日ハ晴レカナ曇リカナ (武満徹) コシミハル・編曲
  4. 三月のうた (谷川俊太郎) 服部隆之・編曲
  5. 翼 (武満 徹) 服部隆之・編曲
  6. めぐり逢い (荒木一郎) 服部隆之・編曲
  7. 死んだ男の残したものは (谷川俊太郎) 服部隆之・編曲
  8. うたうだけ (谷川俊太郎) 羽田健太郎・編曲
  9. 〇と△の歌 (武満徹) 佐藤允彦(みつひこ)・編曲
10. 恋のかくれんぼ (谷川俊太郎) コシミハル・編曲
11. ワルツ〜「他人の顔」より (岩淵達治) 小林靖宏・編曲
12. 雪 (瀬木慎一) 小林靖宏・編曲
13. 見えないこども (谷川俊太郎) 佐藤允彦・編曲

  ( )は作詞者名

 

 

ライナーノートの武満徹の言葉を抜粋し、引用します。ひらがなで「うた」と書いています。

以前、偶々(たまたま)、石川セリの昔のアルバムを聴いて、自分が少しずつ、機(おり)にふれて書き溜めて来た小さな歌を、彼女にうたってもらって、なにか楽しいアルバムをつくってみたいな、と空想したことがあった。

思いがけなくも、私の夢は実現することになった。

大衆歌謡(ポピュラー・ソング)としてはいかにも不器用で面白みに欠けるうたかもしれないが、編曲者の方々の今日的感覚が、それぞれのうたの特徴を生かして、面白いものに仕上げてくださった。

きっと多くの方々が、なぜクラシックの、しかもこむずかしい現代音楽を書いている作曲家がこんなアルバムをつくったりするのか、不思議に思われたであろう。

「翼」といううたにも書いたように、私にとってこうした営為(いとなみ)は、「自由」への査証を得るためのもので、精神を固く閉ざされたものにせず、いつも柔軟で開かれたものにしておきたいという希(ねが)いに他ならない。

 

「そして、なによりも石川セリさん、楽しい仕事をご一緒できたことに感謝します。」

(4/16追記) 

 

編曲者の小林靖宏さんは、アコーディオン奏者の「coba」さんです。

「武満徹を探す三日間の旅@フェニーチェ堺」体験記: エンターテイメント日誌 (cocolog-nifty.com)

没後20年 武満徹の映画音楽|クラシック (hmv.co.jp) 

 

 

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『MI・YO・TA』石川セリ 1997/2006 日本コロムビア

  1. MI・YO・TA (谷川俊太郎) 服部隆之・編曲 
  2. 燃える秋 (五木寛之) コシミハル・編曲
  3. 翼 (武満徹) 服部隆之・編曲
  4. 死んだ男の残したものは (谷川俊太郎) 服部隆之・編曲
  5. 小さな空 (武満徹) 服部隆之・編曲


  6. MI・YO・TA  [伴奏]
  7. 燃える秋  [伴奏]
  8. 翼  [伴奏]
  9. 死んだ男の残したものは  [伴奏]
10. 小さな空  [伴奏]
  ( )は作詞者名

 

武満徹の没後に編まれたミニアルバム。伴奏カラオケが付いています。


「MI・YO・TA」の成り立ちについては、「SONGS①」(4/7)を参照して下さい。

 

 

youtu.be

 

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「MI・YO・TA」(谷川俊太郎・詞)

 

木漏れ日のきらめき 浴びて近づく 

人影のかなたに 青い空がある

思い出がほほえみ ときを消しても 

あの日々のよろこび もうかえってこない

残されたメロディー ひとり歌えば 

よみがえる語らい 今もあたたかい 

忘れられないから どんなことでも 

いつまでもあたらしい 今日の日のように

忘れられないから どんなことでも

いつまでもあたらしい 今日の日のように

 

  

武満徹『時間の園丁』 新潮社(1996年3月)から引用。

没後すぐの出版でした。 

本人の後書きがあるので、生前に編集されていた本です。(2021/4/13追記)

 

「忘れられた音楽の自発性」(抜粋)

 

石川セリのうたで、最近、一枚のCDをつくった。もちろんこれは、ふだんの私の音楽とはまるで違う、全曲、ポピュラーな、歌謡曲に類するものばかりである。

このアルバムのうたは、かならずしも(劇や映画のために)需(もと)められてかいたものだけではなく、私の生活(くらし)のなかから、ふと口をついて出てきたもので、きわめて素朴なものだが、私は、それをうたいたかった。

このCDに収められた私のうたは拙く、呟(つぶや)きのまま途絶えてしまうようなものもある。だが、作ったり装ったりよりは、未分化であり、私の飾らない勘定は、反(かえ)って、素直に表れている。こうしたものを公(おおや)けにしたのは、私が音楽というものを専門職にしてしまったことへの苛立ちの所為(せい)かもしれないが、かならずしも遊び心からだけではなく、ここには嘘もない。

(初出 毎日新聞・夕刊 1995年12月14日)

 

 

「現代音楽と〈わかりやすさ〉」(抜粋)(2021/4/10追記)

 

私は映画音楽を書いたり、ポップスの編曲をしたり また最近では少しでも息の長い(つまりそこに呼吸が通う)旋律を書きたいとおもうようになってきましたが、それは自分の音楽に歌(官能性)を回復したいと考えているからです。それはたんに耳触りの良い甘いメロディーを作曲するということとは違います。それは、言葉では言い表せない、また言葉ではおぎなえない人間感情を見つめ それを歌に表したいからに ほかなりません。

日本経済新聞社文化部からの取材質問状への回答。記事は、回答の一部を引用し、1994年1月30日に掲載。)