江部賢一ファンクラブ(私設)

ギターの名編曲者、江部賢一さんの仕事を、記録します。

武満徹 MI・YO・TA

番外編で、武満徹を取り上げています。

 

武満徹 SONGS①」(2021/4/7)、「武満徹 SONGS③(石川セリ)」(2021/4/9)で取り上げた、「MI・YO・TA」についての補遺です。

 

「MI・YO・TA」のもとになったのは、告別式での黛敏郎さんの弔辞でした。

武満徹の世界』(集英社 1997年)に全文が掲載されています。

抜粋を引用します。

 

(前半省略)

 貴方の音楽は、飽くまでももっと個人的な、インティメイトな、書かずにはいられない貴方の情念のほとばしりであり、それでいて、いやそれだからこそ、貴方にとって極めて切実な、貴方自身の生きる証しだった。

 そのために貴方は、自己には極めて厳しかった。(中略) 

 でも決して厳しいだけではない、貴方の音楽は実に暖かかった。時としては貴方も云(い)っていた様に、ベタアマのロマンティシスムでさえあった。そして、こうした貴方の音楽の持つ特徴は、そのまま貴方の人柄の反映だった。時としてひそむユーモアや、奥床しいまでの謙虚さも含めて⋯

(中略)

 私たちが若かった頃、私は貴方に映画音楽のアシスタントをお願いしたことがありましたね。

 貴方はいつも快く引き受けてやってくれたけれど、時として困った事もありました。貴方が私の代りに書いてくれる音楽が、貴方は一生懸命、私のスタイルに近く書いてくれるのだけれど、あまりに素晴らしく、私の書きとばした曲と同じ映画の中に並ぶと、どうしても違和感が生じてしまうのです。それ程に貴方の音楽はその頃から個性的でした。
 今でもそうした音楽の一つで私の忘れられない一節があります。
 それはあるメロドラマ映画の悲恋シーンにつけられたBG音楽なのですが、余りに素晴らしいので映画に使うのが勿体なくて、ひそかに私が使わずとっておいたものです。私はあらゆる音楽を通じてこれほど悲しい音楽を知りません。

 いうならば悲しみの表現の極致といえるでしょう。

 貴方と私しか知らないこのメロディーを、いま霊前に捧げて、私たちの若き日の共通の思い出を偲び、ご冥福を祈らせてください。

 

(手書きのメロディ譜)

武満さん 

    さようなら 

         黛敏郎

 

 

 このメロディに、谷川俊太郎さんが詞を付けて、「MI・YO・TA」が生まれました。

武満徹 SONGS①」(2021/4/7)でも引用した、下記のブログに詳しく出ています。(2021/5/6追記) 

themuse.exblog.jp

 

 

 浅間縄文ミュージアムのページに、黛敏郎の弔辞の一部と、「残されたメロディー」の画像があります。

図録『御代田の森のなかで』も発行されました。

w2.avis.ne.jp

 

 

芸術新潮』(2006年5月号)「はじめての武満徹」にも、黛敏郎の弔辞の記事があるようです。

MI・YO・TAに涙する-武満徹 : muhas leben (exblog.jp)

 

 

youtu.be

「MI・YO・TA」(谷川俊太郎・詞)

 

木漏れ日のきらめき 浴びて近づく 

人影のかなたに 青い空がある

思い出がほほえみ ときを消しても 

あの日々のよろこび もうかえってこない

残されたメロディー ひとり歌えば 

よみがえる語らい 今もあたたかい 

忘れられないから どんなことでも 

いつまでもあたらしい 今日の日のように

忘れられないから どんなことでも

いつまでもあたらしい 今日の日のように

 

 

(2021/6/30追記)

「MI・YO・TA」について 谷川俊太郎の言葉 

武満徹の葬儀のとき、黛(敏郎)さんはひとつの短いメロディを祭壇の前で繰り返し切々と口ずさんだ。むかし武満が黛さんの映画音楽を手伝っていたころの、武満自身の作曲によるもので、それを黛さんはずっと覚えていたのだ。あまりに美しいメロディなので心にやきついて離れなかったと言われたが、音楽への愛と友への友情がまじりあった そのときの黛さんの行動に私は胸をうたれた。そのメロディはのちに私の作詞で「MI・YO・TA」という歌になったのだが、その歌は黛さんなしでは生まれなかった。

武満徹を語る15の証言』小学館(2007年)より引用。

(初出はCD『日本の映画音楽 黛敏郎の世界』ポリスター