8月19日は、菅原 潤さんの誕生日だそうです。
2009年末に53歳で亡くなってから、10年以上が経ちました。
残念ながら、面識はありませんでした。分かる範囲で、足跡を辿ってみます。
菅原 潤(1956-2009)
1956年8月19日
岩手県一関で生まれる。米農家の次男坊として自由奔放に育つ。中学時代より兄の影響でクラシックギターを始め、東京ギターアカデミーにより独習。このころからギター楽譜の収集、海外の図書館を通じて楽譜のマイクロフィルム・書籍などを入手、ギターの歴史の研究にいそしむ。生涯で集めたギター楽譜は三千冊ほど。そのすべてを自ら演奏して検証、初見能力の高さは他の追随を許さぬ一級品。
1975年3月(18歳)
岩手県立一関第一高等学校を卒業。高校ではブラスバンド部に所属しティンパニーを担当。
1977年(20歳)
1979年(22歳)
美容情報センター入社。20歳頃よりギターマニア向けの「ギター古典の薫り」という雑誌を10冊ほど刊行。20~30代はギターアンサンブル「アルモニコス」に所属し演奏を楽しむ。
1983年12月(27歳)
天野しのぶと結婚。
1985年(29歳)
富士通興産(株)に入社。
1990年8月(35歳)
(株)現代ギター社に入社。『現代ギター』誌編集長として国内外のギタリストと交流。コンサートの主催、出版、若いギタリストの育成など多方面でギター界に貢献。また自らの研究対象であるフェルディナンド・ソルについての研究を進め、世界中の研究者によるギターサミットに参加し論文の研究発表などを行なう。アメリカ・ドイツ・タイなど各国でギターフェスティバルに参加、ギターコンクールの審査多数。
1995年1月(39歳)
甲状腺乳頭ガンに罹る。以後生涯に10回の手術を経験。
2001年12月(45歳)
一人娘「萌真」誕生。
2004年1月(47歳)
現代ギター社退社後 (株)ホマドリームを設立。
2006年(50歳)
クラシックギター専門誌『ギタードリーム』創刊
2009年3月(52歳)
喉頭癌により声帯摘出。入退院を繰り返し、同年12月30日、甲状腺未分化癌のため永眠(53歳)。
(ムジカ・フィクタ ギターコンサート[2010年4月]のチラシ掲載の年譜より)
渋谷 環さんのページ(2001年の演奏会の打ち上げ。菅原さんの画像があります。)
「ギター古典の薫り」[ギター古典ノ薫リ]について
20代で、編集に関わっていた同人誌です。創刊は、1983年。主旨は次の通り。
「ギター史上、最も風化の進んでいる古典期を中心に、多角的な見地より研究し、ギターのレパートリーの再点検をうながせる環境作りを目的とする」。
年譜に10冊程とありますが、何号まで発行されたのか不明です。
手作りの冊子ながら、とても専門的な内容です。1~7号が公開されています。
『現代ギター』記事
現代ギター社に入社したのは、1990年8月とのことですが、それ以前にも署名記事があります。
1988年10月号 テデスコ全作品(10ページほど)
1988年11月号 テデスコ全作品②(6ページほど)
1989年 7月号 ソル特集 メッソニエ版についての覚え書き
1989年10月号 ロマン派特集 凋落期のギター作品、マカロフのギターコンクール
1989年11月号 ブローウェル特集 全ギター作品カタログ
1989年12月号 ブローウェル 全ギター作品カタログ②
1990年 4月号 ラウロ特集 作品カタログ
1990年 6月号 新刊案内
1990年 7月号 新刊案内
1990年 8月 現代ギター社 入社
入社後は、新刊案内を担当されたようです。初見演奏が得意だったそうです。
「楽譜の知的管理術」特集(1991年7月号)に、署名記事があります。
楽譜の収集・研究にかける情熱が感じられます。
コンピュータによる楽譜管理術(菅原 潤)抜粋
1000冊ぐらいまでは記憶でも充分管理できました。しかしそれを越えると苦労した楽譜ならまだしも、(中略)意識のボーダーラインに位置する楽譜は、所有していたかどうかさえ定かではない時があるものです。
しかし私の楽譜収集の目的は、6単弦ギターの全レパートリーをチェックし、作曲家ごとの仕事を整理する、ひいては二次資料にとらわれないギターの歴史を組み立てたいという何とも無謀なものです。増えこそすれ減らないのです。また楽譜などから得られる情報はすべて資料と考え、整理したいと思っていました。(中略)
最初は台帳・作品表の類を、ノートやカードを利用し、手書き・タイプで作成しました。しかし新しい楽譜・情報を入手したりすると、作品表を直すのが大変でした。
そんな頃、ワープロが出回り始めたのです。(中略)しかし、自由な検索となると、まだまだです。そこでパソコンの利用にたどり着くことになります。(中略)
(当初は、NECのPC98を使っていたが、楽譜の浄書もしたくて)そこで目がいったのが「フィナーレ」などの強力浄書ソフトが数々揃っているマック。(中略)
しかし、かなりの値段で、妻を説得するのに骨を折りました。交換条件は、彼女のために輸入ギターを買うことでした(2年後に実現させられました)。
(『現代ギター』1991年 7月号)
具体的な利用法として、①データの登録、②検索、③古典期ギター作品の調査、④ギター作曲家事典、⑤古今のギター雑誌の総目次の構想、を挙げています。
「データの登録」は、図書館レベルです。
「古典期ギター作品の調査」は、外国出版社の昔のカタログ情報を集め、各国の図書館の蔵書を記録するもの。「私のライフワーク」としています。
「ギター作曲家事典」は、[肖像・伝記・作品表・冒頭譜・冒頭の音]を、まとめて整理したもの。
2002年4月号では、「初めての19世紀ギター」の座談会をされています。
また、語学を活かした記事(インタビュー、海外フェスティバル)もあります。
1990年8月に入社し編集長を務められ、2004年1月に、現代ギター社を退社されます。
『現代ギター』に書いた最後の記事は、2004年3月号「メリダ国際ギターフェスティバル」についてのものでした。
「ほま」
佐藤弘和さんの「ほま」は、『現代ギター』2004年2月号に掲載。
退社する菅原さんへの餞(はなむけ)だったのかも知れません。
『ベイビーズソング(第1集)』(ホマドリーム)は、2005年出版。
(ほま[萌真]、かれん、ことは、そうえい[奏映])。
『ギタードリーム No.6』(2007年8月号)に再掲載されました。
(ほま、そら、ゆみ)。佐藤弘和さんによる曲紹介があります(2021/8/11記事)。
ホマドリーム
現代ギター社を退社、ホマドリームを創業されます。
楽譜(ピース)・CDの出版から始まり、隔月刊誌『ギター・ドリーム』 を創刊。
『ギター・ドリーム 創刊号 No.1』は、2006年10月に発行。
菅原 潤さんは、2009年12月に53歳で亡くなりました。関わったのは第20号まで。
(第21号のインタビューも、メールで進めていました。)
『ギター・ドリーム』の21号(2010/3-4)、22号(2010/5-6)に追悼記事があります。
その後も『ギタードリーム』は続きましたが、第39号(2013年)で終刊となりました。
ソル
ホマドリームのホームページ上で、『ソル倶楽部編/ソル・ギター作品全集 』を手掛けていました。残念ながら、完成には至らなかったそうです。
本人の言葉を引用します。
思うところがあり、現在ホマドリームサイト内のソル倶楽部にPDF版ソル全集がアップロード中である。
2009年は年始めより大病を患い、長期入院を余儀なくされた。さまざまな治療を受けたし、手術も何度か受けた。そうした入院生活の中で、まあ消灯時間も早いこともあって、自分の人生を振り返る時間がたっぷりあった。
そこで気がついたこと。ギター史の研究と称してあれこれやってきた自負はあったが、形として何もない。自分の人生の残り時間はあと何年なのかわからないが、何かを作り上げたい衝動に駆られ、自然にソル・ギター作品全集の編纂をすることに決まった。
職業が楽譜出版だというのに、印刷して販売するのではなく、PDFで自社サイトにアップロードする形態にした。ギター界への恩返しなのだから。現在、ほぼ半数を終えたところだが、問題はミスプリント。自分の性格だからしようがないが、楽譜を書き終えるとうれしくてすぐにアップロードしてしまう。たしかにPDFだからバージョンアップは容易だが、もう少し校正に時間をかけなければ。
(『ギタードリーム No.20』「役に立たないギターの歴史」より抜粋)
探してみたところ、1曲だけ見つかりました。
ソル倶楽部編/ソル・ギター作品全集 瞑想曲(《私の夢》より)
https://www.8notes.com/members_files/222314/cs-meditacion.pdf
「6つのディヴェルティメント」(ソル)お気に入りの曲だったそうです。
追悼文が沢山、見つかりました。
宮下祥子さんの公式ブログ 追悼文
千葉ソロギターサークル公式ブログ 追悼文
坪川真理子さんのブログ 追悼文
プリンセスピンク(椎野みち子)さんのブログ 追悼文
この他にも菅原さんに関する記事があります。
横田進さんのブログ
一周忌メモリアルコンサート
河野智美さんの旧ブログ記事(年譜の引用元、思い出話もあり)