番外編で、武満徹を取り上げています。
音楽との「決定的な出会い」の場所について。
「NHK・映像ファイル あの人に会いたい」という、10分間の番組があります。
番組の説明は、次の通りです。
「あの人に会いたい」はNHKに残る膨大な映像音声資料から、歴史に残る著名な人々の叡知の言葉を今によみがえらせ永久に保存公開する「日本人映像ファイル」を目指す番組です。(番組ホームページより)
武満徹さんの回に、勤労動員に触れている部分があります。横浜本牧のアメリカ軍キャンプ跡地を娘の眞樹さんと訪れた、1983年の映像です。本牧米軍接収地は、1982年に返還されました。
活字化された、新潮文庫からの引用です。『あの人に会いたい』新潮社(2008年)
僕がなぜ音楽をやるようになったかというと、それは戦争中なんだけど、陸軍の兵隊さんと同じ所に学生が泊まって、いざ、日本がアメリカと戦争になった時のために、食料を山の中に蓄える基地を作ってた。そこで働いてたのね。僕、その頃、お米1俵なんて担いでたんだからね。毎日そういう生活しててさ。暗い半分地下格子みたいなところで、ある日、終戦の2・3週間前だろうね。ある兵隊が『今日、お前たちにおもしろいものを聴かせてやる』ってさ。手回しの蓄音機で聴かせてくれたわけ、シャンソンを。素晴らしかったんだよね。その頃、そういうものは禁止されてたわけ、敵性音楽は聴いちゃいけないって。それが『パルレ・モア・ダムール』という歌だったと思う。知らないだろう?(口ずさむ)
娘「あ、知ってる、知ってる」
すごいきれいな⋯⋯。もうね、ゾーッとするぐらい。みんな感動したんだけど、僕は特別感動したのかもしれない。で、もし戦争が終わったら、音楽家になるんだ!と。
娘「でも、そういう音楽を書かなかったじゃない?(笑い)」
そうなんだよ。それが不思議なんだよね。(笑い)
娘「なんであんな音楽になっちゃったの?」
だけど、僕はそう思ってるんだよ。僕は、あのシャンソンとおんなじような精神の音楽を書いてるつもりなんだよ。
「地下格子」は、「地下壕」の誤記かも知れません。
親子ならではの、遠慮のない会話です。
地名はありませんが、時期が分かります。